※本原稿は2014年ミリオン出版『BLACKザ・タブー』誌に掲載されたものです。よって2014年の調査に基づく内容になっております。

 不景気の最中も優良企業としてメディアにたびたび取り上げられ、また2013年の暮れに当時社長であった大東氏が射殺された件も耳に新しく、良くも悪くも注目を集める外食チェーン「王将」だが、王将には「餃子の王将」と「大阪王将」のふたつの王将があることをご存知だろうか。

 両王将は共に屋号に「王将」を冠し、餃子を主力とした中華料理店である。店舗数においては餃子の王将が650店以上、大阪王将も350店を数える。店舗数が多いのは餃子の王将だが、大阪王将も滋賀県を除く全国都道府県と東〜東南アジアにまで広く店舗を構え、冷凍食品分野ではリードした感もある。両者存在感では相譲らぬ巨大飲食店チェーンである。

 歴史を紐解けば、1967年に京都の四条大宮にて加藤朝雄氏が「王将」という中華料理店を開店したのがその始まりである。加藤氏は王将開業までに営んでいた薪炭商を倒産させ、ラブホテル経営にも失敗したという。開業以来、王将は順調に店舗数を増やす。2号店からすでに「餃子の王将」との表記は使用され、74年には法人化、75年には大阪にも進出した。

 一方、69年にのれん分けされ大阪の京橋にて開業したのが大阪王将である。大阪王将の創業者は加藤朝雄氏の従姉妹の夫である文野新造氏。のれん分けにあたり「加藤氏は京都」、「文野氏は大阪」でそれぞれに王将を営業するという契約書を交わし︑指導料として文野氏から加藤氏に一千万円を支払ったという。しかしそんな取り決めも虚しく、後に両者は「王将」の名称を巡って激しく争う関係となってしまうのである。

 まず争いが表沙汰になったのは、84年頃に大阪王将が京都に進出したのをきっかけに京都王将側が不正競争防止法上の差し止め請求を提起した件である。当時既に京都王将は大阪に店舗を展開しており、大阪王将側としては営業圏に関して先に契約違反をしたのは京都王将との思いもあったという。
 85年に和解が成立。以降、京都王将が「餃子の王将」の呼称を使用、大阪王将は「大阪王将」「中華王将」を使用し、両者は地域に関係無く営業可能となる。

 そして2005年から07年にかけて、今度は商標権を巡っての訴訟沙汰が勃発する。話は入り組んでいるのだが、まず前提として餃子などに関して先んじて1984年に「王将」との商標を取得したのは後発の大阪王将ということがある。その上にかぶせて京都王将側から95年以降「餃子の王将」及び「元祖餃子の王将」との商標が出願され、一旦は登録が下りる。しかし登録された直後、所有する商標「王将」との類似から大阪王将が京都王将の商標登録の無効を求めた。
 特許庁において一旦大阪王将側の主張が一部認められ京都側が申請した「餃子の王将」との商標は無効とし「元祖餃子の王将」が有効とされた。
 だが争いは上級の知財高裁にまで持ち込まれ、結果は180度逆転。京都側の「餃子の王将」の登録を認め、「元祖餃子の王将」の登録を無効とするという決定が下されたのである。これで京都vs大阪の「王将」を巡る争いは一応の決着を見る。

 しかし鹿児島県には「餃子の王将」との看板を掲げて堂々と営業する第三の王将がある。なんでもこれは京都王将に京セラの稲盛和夫氏の親類が勤めており、その親類が独立の希望を持っている事を知った稲森氏が京都王将の加藤氏に直接掛け合い「鹿児島県での王将の営業は鹿児島王将に一任する」との言質を取りつけ、京都王将と鹿児島王将の間には鹿児島県不可侵の協定がある上でのことという。
 さらに、言わば非武装地帯として隣県の宮崎県に関しては京都王将、鹿児島王将共に出店可能であるという。宮崎県には大阪王将も出店を果たしており、宮崎県は3王将並立の可能性がある全国で唯一の県であるが、現時点では宮崎県に京都王将の店舗は無い。

 大阪王将にも〝分派〞と見られる「大阪王」という餃子店のチェーンがある。大阪王のホームページには「某大手チェーン店様とは一切関係ございません」と記されているが、大阪王の複数店舗が元々大阪王将であった事は公然の事実である。

 大阪王将に関する余談をもうひとつ。大阪王将現社長の文野直樹氏は投資をテーマにしたTV番組『マネーの虎』に投資者側として度々出演していたことでも知られるのだが、出演作は全て「ノーマネー」であった……。

 大東氏射殺に関して、犯人については創業家との確執説、中国進出時のトラブル説や北朝鮮女スパイ説(勝谷誠彦氏)まで諸説囁かれるが、筆者が有力と思う伏線は1999年に1億7千万円の申告漏れを指摘された事から公になった裏社会との繋がりである。
 89年に店舗の火事で死亡したビルの所有者の関係者との間でトラブルが発生した。その解決の仲立ちをしたU氏に対して京都王将は1億円もの謝礼金を支払っていた。98年にはU氏経営の会社Kに対して九州のゴルフ場開発を舞台に子会社を経由した90億円もの不可解な融資がなされている。U氏は京都を地盤とするアンダーグラウンド人脈に連なる人物であり、創業家の加藤家とは家族ぐるみで昵懇であったという。
 創業者の妻の弟である大東氏は四代目の社長であり、申告漏れ事件発覚の翌2000年、470億円の負債を抱えた会社を創業者の長男である加藤潔氏から引き継いだ。以来不眠不休で働き、社内風土の改革を敢行し、現在の活気ある企業に育てた言わば「餃子の王将」中興の祖であるが、健全化を推し進める中で裏社会の面々と何らかの軋轢が生じた事を想像するのは難くない。

 創業家に関しても不穏な話がある。創業者の孫にあたる加藤貴司氏の失踪がウクライナ人の夫人よって『フライデー』誌上で語られたのだ。今なお貴司氏は京都王将の大株主である。

 こうして王将の歴史を俯瞰するとそこには「親族・馴れ合い・闇社会」と、言わば関西らしいエッセンスがギュッと詰まっている。普段何の気なしに口にする餃子のひとつひとつにも、決して甘くはない隠し味が効いているように感じるのである。

(※便宜上「株式会社王将フードサービス」を「京都王将」、「イートアンド株式会社」を「大阪王将」とした)

〈参考文献〉
『京都と闇社会~古都を支配する隠微な黒幕たち』(宝島社)一ノ宮美成+湯浅俊彦+グループ・K著
『よってこやの秘策―二十一世紀に飛躍するニュービジネスモデル』(文藝社)文野直樹著
日本商標協会ホームページ内、弁護士小林十四雄による判例解説