私は一応アナキストを自認しているので初詣などの宗教的な習慣に対しては苦々しく思うところもあるが、反面本サイトを運営するようなオカルティストとしての面もあるので興味深く思うところもある。

アナキストから見ると国家と宗教に数少ない容認するべき点があるとしたらそれは再配分の機能ではないかと思う。私は用があってフィリピンを度々訪れているのだけれども、事実イスラム教やキリスト教は医療補助、教育活動、チャリティーや炊き出しなど通して人心を得ているようにも見える。
そのような面からジャパンの宗教を見たときに再配分への意識が心許ないように見えて仕方がない。
もちろん「うちはやっている」という個別の声はあるだろうが、ジャパンの宗教全体を見渡したときに再配分をする装置としての宗教という自覚があるのだろうか。再配分が宗教の本筋ではないという反論もあるのかもしれないが、ならば賽銭と称して金を集めるのはどういうことか。ただ祈ることが宗教の本筋というならば金子を集めるのを即刻やめろ。

少し熱くなってしまったが、このようなアナキストとしての宗教への批判を踏まえながらも、自身が関西在住ということもあり、特に一月には習慣で初詣に加えて十日えびすにも参ってまうのだけれども、そんな積年の「お参り」活動を通して私なりのお参りスタイルを考えてみたのでご参考にされたい。

といっても難しいことではない。下記の点に気をつけるというだけのことである。そのほかは好きなようにしていただけたら良い。

0)絶対に多額の賽銭をしない:
まず何があっても500円以上の賽銭をしないことが大事である。
適当なことをいう宗教者も居るが、そもそも神が金子を欲するわけがない。
先述の通り、再配分の効果が十分にあるのであれば自らに課す修行として喜捨が尊いと考えることもできるかもしれないがジャパンの宗教の多くにおいてそのようなことはないのだから多額の賽銭には何の意味もないことを念頭においてほしい。

1)賽銭を投げる際にはサウンドに気をつける:
賽銭はできるだけいろんな種類の小銭を用意し、賽銭を投げる際には「はっ!」と声を出しながら、賽銭箱に小銭が入る際にできるだけ良い音が鳴るようにパッと景気良く賽銭を投げる。両手で包むように賽銭を持って振って鳴らしてみて自分が気に入った音がしたらそれでOKである。先日私は100円玉×1枚、十円玉×2枚、五円玉×2枚、一円玉×4枚と言う組み合わせで試してみましたが良い音がしました。
コインをひとつだけ投げる時にも少し高く投げ上げて音を鳴らすように工夫すると良い。

2)お札(さつ)は絶対に入れない:
ネットでは「音が鳴らないお金が一番良い」などという宗教者もいるような話も見たが、音が鳴らなければ神仏に賽銭を投げた旨も通じないのでお札を賽銭箱に入れても意味がない。

3)500円玉は入れない:
500円玉は「これ以上の効果(硬貨)が無い」として縁起が悪いので絶対に入れない。

4)願い事を言うときは音読&過去形:
住所と名前、願い事はできるだけ声に出すようにする。何にせよサウンドが大事である。あと、願い事は過去形で言うことが肝要である。作家の吉田悠軌氏によれば絵馬などに願いごとを書く際には「○○大学に合格した」というように過去形で書くのが良いとのことである。「仕事で出世した」とのように達成した体で願い事を言おう。

以上4点を注意するのが私流のお参りスタイルだ。お試しあれ。