必要があって調べたのですが、案外まとまったものがなかったのでここでまとめておきたいと思います。何の話かと言いますと、いわゆるパッション・ドラマとかイエスの受難とか苦難の道(ヴィア・ドロローサ / Via Dolorosa)とかと呼ばれるイエス・キリストの最期の場面です。
Wikipediaと映画『パッション』。ほかには私がフィリピンでの取材したもののまとめ記事みたいな感じになっています。
実際に聖書にあたっているわけではないので間違いがあったらすみません。ご指摘いただけたら幸いです。



イエスは「ユダヤ人の王」を名乗ったとの咎でユダヤ人に告発される。
教会にあるイエスの磔刑像に「INRI」とあるのは「IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM(ユダヤ人の王、ナザレのイエス)」の頭文字であり、罪状を表している。
イエスが没した日に関しては複数説ある。
最もよく見かけるのが

西暦30年4月7日 金曜日

次いで

西暦33年4月3日 金曜日

だろうか。


木曜日(聖木曜日、Holy Thursday)

12番目の弟子であるユダが銀貨三十枚でイエスの引き渡しを請け負う

最後の晩餐
晩餐の席上、イエスはユダが自身を裏切ることを予告する


金曜日(聖金曜日、Good Friday)

十字架刑をまぬがれないことを感じたイエスはゲツセマネの園で三度祈る

ユダは衆目の前でイエスに接吻をすることでイエスを指し示す

ユダヤ人達は自身らにはイエスを死刑にする権限がないのでローマ帝国のイスラエルの総督ピラトに裁きを求める

ピラトはイエスの行いに罪を見出せず、逡巡のうちにガリラヤ人であるイエスならガラリアの領主であるヘロデが裁くべきとヘロデの許にイエスを送る

ヘロデは物珍しさから世間で評判のイエスに興味を持つが、当のイエスの反応が悪くイエスを再びピラトの許に突き返す

ピラトは妻の反対もありイエスを極刑に処すことには抵抗があった
「死に値する罪は見出せない」とし、むち打ち刑で済ませるべくアベナデールにむち打ちを命じる

ピラトはイエスを許すべく、祭りの前には恩赦をする習慣を持ち出し、ユダヤ人達にバラバかイエスのどちらかを赦そうと持ちかける
ピラト「この人を見よ」
ユダヤ人達はバラバを釈放しイエスを十字架にかけるように求めた

ピラトはイエスの死には自身の責任はないことを、イエスの死はユダヤ人達の判断によることの確認を求めた
ユダヤ人達は「その血の責任は、我々と子孫にある」と応えた

イエスがゴルゴダの丘に向かって苦難の道を歩き始める

十字架を背負わされたイエスが倒れる

母マリアと遭遇

アベナデールが「彼(イエス)はもう歩けない」とローマ兵を叱る
キレネ人シモンがイエスを助け代わりに十字架を背負う

ベロニカがイエスの顔を拭く。イエスの顔が布に浮かび上がる

倒れる(二度目)

嘆き悲しむ女性にイエスが語りかける

倒れる(三度目)

衣服を脱がされる。ローマ兵がくじ引きをして衣服を分け合った

十字架が立てられる

午前9時ごろ 手のひらと足に釘が打たれ十字架に磔にされる

左右の十字架には強盗を働いた罪人が同時に磔にされる
(映画では)向かって右側の罪人は改心している

午後3時ごろ イエスが「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ぶ

居合わせた人が海綿に吸わせたぶどう酒をイエスに与えようとする

イエスは大声を出して息をひきとる
ロンギヌスがイエスの体に槍を突き刺してその死を確認した

アリマタヤのヨセフがピラトからイエスの亡骸を引き取り埋葬した


土曜日(Black Saturday)

大安息日、過越の祭、無酵母パン(マッツァー)の祭り


日曜日(復活祭、Easter)

イエスの復活
最初にマグダラのマリアに会う



下記はWikipedia内ヴィア・ドロローサからの引用である

福音書の記述に準じた十字架の道行き

近年のカトリック後代の伝承に拠ったいくつかの留を省いた十字架の道行きが実践されている。フランシスコ会によるローマのコロッセオでの十字架の道行きもそのひとつで、1991年と1994年にはローマ教皇ヨハネ・パウロ2世も参加している。十四の留は、ゲッセマネの丘からはじまるなど、より福音書の記述に則した場面が選ばれている。

  1. イエス、ゲッセマネの丘で祈る
  2. イエス、イスカリオテのユダに裏切られる
  3. イエス、サンヘドリンで有罪判決を受ける
  4. ペトロ、三度イエスを否定する
  5. ユダヤ人、イエスの十字架刑を要求する
  6. イエス、ローマ兵によって紫の衣を着せられ、茨の冠を載せられる
  7. イエス、十字架を背負う
  8. キレネ人シモン、イエスの代わりに十字架を背負う
  9. イエス、婦人たちと出遭う
  10. イエス、十字架に掛けられる
  11. イエス、犯罪人に語りかける
  12. イエス、母マリアに語りかける
  13. イエス、十字架上で息を引き取る
  14. イエス、埋葬される

新しい十字架の道行き

近年、「新しい十字架への道」と呼ばれるカトリック教会推奨の十字架の道行きがあり、フィリピンなどではすでに実践されている。カトリック教会は十字架の道行きを個人的な宗教体験を喚起させるための道標と見なしており、真に重要なことは参加することではなく、いかにしてイエスの苦難を体験するかという考え方から、個人、団体を問わず、参加者には相応の忍耐力を求める。十四の留は以下のとおりである。

  1. 最後の晩餐
  2. イエス、ゲッセマネの丘で嘆く
  3. イエス、サンヘドリンに立つ
  4. イエス、鞭打たれ茨の冠を載せられる
  5. イエス、十字架を背負う
  6. イエス、倒れる
  7. キレネ人シモン、イエスの代わりに十字架を背負う
  8. イエス、婦人たちと出遭う
  9. イエス、十字架に打ち付けられる
  10. 犯罪人のひとり、改心する
  11. 使徒ヨハネと母マリア、十字架の下でたたずむ
  12. イエス、十字架上で息を引き取る
  13. イエス、埋葬される
  14. イエス、復活する

参考:
Wikipedia内ヴィア・ドロローサの項
https://ja.wikipedia.org/wiki/ヴィア・ドロローサ